昭和天皇のお妃教育の場として大正7年に建てられ、昭和26年に同窓会によって駒場の地に移築された駒場松桜会のシンボル的な建物です
仰光寮の歴史
仰光寮は香淳皇后が皇太子(後の昭和天皇)妃に内定された大正7年に、ご実家の久邇宮邸内に建てられたものです。そして、大正13年1月26日にご成婚の時まで未来の皇后としてのご勉学の場でもありました。
明治維新後、皇族としての宮家が創設され、香淳皇后は久邇宮家の長女として明治36年3月6日にお生まれになりました。母君は旧薩摩藩主 島津忠義の第七女であります。大正6年 香淳皇后は女子学習院中等科3年生(14歳)の時に皇太子妃に内示され、翌7年1月17日に正式発表がありました。そして同年2月に女子学習院を中退され、独自の教育を受けることになります。
当時久邇宮邸は麹町一番町にあり、邸内に学問所が建設され「お花御殿」と呼ばれていました。1年後に久邇宮家は東京府豊多摩郡渋谷町下渋谷(現渋谷区広尾4丁目の聖心女子大)に移られますが、学問所も移築されました。そして、昭和8年に府立第三高女に下賜されることになり、学校では同年10月6日、「仰光寮」と名付け、移築落成式を行っています。
生徒及び教員の必死の防火活動により大空襲の戦火から焼け残った仰光寮は、昭和26年まで麻布キャンパスに取り残された形になっていました。松桜会では卒業生に募金を呼びかけ、現在地に移築しました。再度の移築落成式は昭和26年11月11日でした。
仰光寮は、生徒達の茶道や華道、筝曲のお稽古の場として、また卒業生のクラス会、同窓生の会合などの場として、広く在校生及び卒業生に親しまれてきました。現校舎以前の卒業生にとっては、変わらずに残っている自分たちの青春の思い出を呼び起こす存在の建物です。
現在は常時の使用は中止されていますが、折々のお掃除と空気の入れ替えを松桜会で行い、都駒祭の時には公開されています。仰光寮は「お花御殿」として建てられてから106年、第三高女に下賜されてから91年、現在地に移築されてから73年経ちますが、これからも皆様を優しく迎えてくれることと思います。